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PROFILE
1969年生まれ。幼少から車に親しみ、21歳でオークション代行などを手掛ける「ガレージリボン」を設立。ミニをベースに製作した、登録車としては日本最小の2シーター車「ミニミニ」をきっかけに日本で11番目の自動車メーカーとして、F-3000マシンの一般公道仕様車など話題の車を次々と世に送り出す。また、真の車好きのためのテレビ番組「ドリームカー倶楽部」の制作を主導し、同番組やフリーペーパー・イベント等を手掛ける「株式会社ドリームプロモーション」を設立している。 |
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女の子に消えた、100万円。
私は昭和44年生まれ。スーパーカー世代のど真ん中です。女の子がアイドルに憧れるみたいに、男の子はフェラーリやポルシェといったスーパーカーが興味の矛先。私の場合、特にカウンタックに夢中でした。
今でも実車を見るとドキドキするぐらいです。で、幼稚園ぐらいの時には、段ボールで自分が乗れるサイズの車を作ったりもしました。それがプラモデルになり、ラジコンになり、やがて実車をいじるようになった。そんな感覚ですね。
初めての愛車は、母親が商売に使っていたカローラバンのおさがり。本当はフェアレディZ31が欲しかったんです。高校に入学すると同時にバイトに励んで貯金も始めていましたが、100万円ほど貯まったところで女の子に入れあげちゃった。ゴハン代やらホテル代やら、1ヶ月で全額消えました(笑)。
で、もらったカローラバンにはカーオーディオなんて付いていなくて、すでに買うお金もない。仕方なく、家のラジカセをバラして組み付けました。フェンダーアーチの代わりに、メッキのカッティングシートを貼ったりね。いま思えば変ないじり方していましたよ。
高校卒業後すぐに家を出て、カウンタックを扱っている中古車屋に転がり込みました。そう、子供の頃に夢中だったカウンタックを、まだ追っかけてたんですね。
給料は月6万円。住む場所もなくて中古車屋の倉庫で寝泊り。風呂は2日に1回だけ銭湯へ。食パンのかたまりにジャムだけ塗って、食いつなぐ生活でした。
苦しかったけど、すごく勉強になりましたね。中古車屋には、車に関わるいろんな業種の人が出入りします。エンジニア・板金屋・車検屋・タイヤの卸し商……そういう人たちに食らいついては、技術のこと、商売のこと、根掘り葉掘り尋ね回っていました。私が今持っている車の知識のうち、大半はあの時代に培ったものだと思っています。

(左)フォーミュラF3000一般公道仕様車
(右)トヨタMR-2ベースのフェラーリ・テスタロッサレプリカ:MR-F
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