市立病院で改造手術を受けるのが夢だった。 ガキの頃、仮面ライダーの強さに憧れていたんだ。ウルトラマンよりも好きだったな。ウルトラマンは闘うときに巨大化しちまうけど、ライダーは等身大のままだろ? 将来は仮面ライダーになりたいって本気で思ったもんだよ。親戚のおばさんにそう言ったら「市立病院で改造人間にしてもらえるよ」なんて教えられちゃってさ。マジで行こうかと思ったもの。 遊びは当然、ライダーごっこ。原っぱで飛んだり跳ねたり。誰もショッカーやりたがらねえから、ライダーばっか何人もいるワケわかんねえ状態だったけどな。でも、ガキながらアクションは本格的だった。小6の頃には、体育館の端から端までバック転でいけたからな。 梶原一騎の世界にも影響受けたよ。「強さがほしいなら、自分を痛めつけてでも手に入れろ」という泥臭い方法論を教わったというか。まあ、今のガキにはわかんねえだろうな。ポケ●ンだっけ? 身代わり同士で闘わせて、自分は見てるだけなんだろ? 柔道を始めたのも、もろに「柔道一直線」の影響だった。体もでかかったし、仮面ライダーごっこで鍛えた足腰もあったから、まあ強かった。中3で初段を取ったよ。自分で言うのもなんだけど、当時暮らしてた山梨じゃ、最強の中3だったんじゃないかな。でもさ、俺の柔道って実は我流なんだ。いい指導者に恵まれなくて、勝手に勉強したんだよ。中学のうちはそれでも勝てた。でも、高校ぐらいからうまくいかなくなっちゃってさ。そりゃそうだよ。よそはスパルタの指導者がついてガンガンやってるわけだろ。我流じゃ限界もあるよな。 それでも、高校を卒業する頃にはいろんな大学から引き合いが来たよ。迷ったけど、結局どこもお断りした。俺、運動部のタテ社会って好きじゃないんだよね。誘いに来る大学からはその匂いがプンプンしてたし、「耳が変形するまで練習しないヤツは、石でムリヤリつぶされる」なんてウワサも聞いたりしてさ。で、仙台にある柔道専門学校に行くことにしたんだ。知り合いの接骨医から、骨接ぎの資格が取れるって聞いたんでね。 卒業して、接骨院にインターンとして入った。参ったね。俺みたいな若造が、じいさんばあさんから「先生」って呼ばれるんだぜ。おまけに、専門学校までは柔道漬けだったのに、先生になった途端に体を動かさなくなるだろ? 診察の緊張感と相まって、すごくストレスがたまった。そんな頃だったかな。知り合いの接骨院に、新日本プロレス(以下、新日)の選手がよく来院するって聞いたんだ。そこの院長に頼み込んで、顔つなぎをしてもらった。それが、プロレスとの縁の始まり。 考えてみるとさ、テレビや漫画に影響されたとか、誰かの意見を聞いたとかじゃなく、自分で自分の道をきっぱり決めたのは新日入団が最初だったかもな。ま、入団の誓約書に「死亡しても文句を言わない」って書いてあったのはビビッたけどさ。 ●次のページは、「モト冬樹とグレート・ムタの共通点とは」