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力道山の中国人版を育てたい。
2001年に、知り合いのレスラーから「全日本プロレス(以下、全日)の社長が会社を手放したがってる」って聞いたんだよ。「なんとか助けてやれないか」ってね。当時、全日にいた選手が新団体を立ち上げて、ごっそり選手が流れちゃったからな。社長も参ってたんだろう。
ちょうどその頃、オレも新日でプロレスを続けることに限界を感じてた。総合格闘技にいこうとしてた新日の考え方と合わなくなってたんだな。このままだと、せっかく築いてきたものがゼロにされちまうって危機感があったんだ。さっきも言ったけど、格闘技とプロレスは別物だから。
まあ、そうでなくともプロレスやってるといろいろ悩むんだよ。体なんかボロボロになるだろ? 俺、膝がやられてるから300メートル以上続けて歩けねえもん。たまに弱気になってさ、引退して骨接ぎやろうかとか、親父が植木屋やってるんでそれを継ごうかとか、考えちまうんだよな。
でもさ、やっぱり俺はプロレスが好きなんだよ。俺の試合を見たファンから、いろいろ嬉しいこと言われるじゃない。重い病気を抱えてるファンから「勇気をもらいました」とかね。誰かにエネルギーをもたらしている実感って、俺にとっては掛け替えのないもんなんだ。これって、俺がガキの頃、仮面ライダーにもらっていたのと同じエネルギーだと思う。改造人間にはなれなかったけど、仮面ライダーにはなれたってことだよな。
だから、プロレスの世界で一生やっていくんだという宣言も兼ねて、全日本への移籍を決めたわけ。「移籍」という形で発表したけど、実は社長になることも決まっていた。それが2002年。新日から選手どころかスタッフまで引き連れての移籍だったからね。いろいろと叩かれもしたよ。
しかし、社長業は思ったより大変だったね。「どうやって畳もうか」ばっか考えてた時期もあったくらい。全日は屋台骨がガタガタだったし、おまけに、昔からの社員と、俺が連れていった元・新日社員の間もギスギスしてたしさ。俺が入社することで、新日時代に年間5億円ほどあった俺のグッズ売上がそのまま転がり込んでくるかと思ってたけど、さばける場所がなくてうまくいかなかったし。
困ったことに、経営のお手本ってのも見つけにくいんだよ。銀座とかで知り合いになった経営者ってのはたくさんいるんだけど、俺みたいに、選手=人を商品にしてる会社なんてないわけでさ。この商品ってほんと厄介なんだよ。口がついてるから文句言いやがるし(笑)。まあ、彼らに武藤流のプロレスをしっかり教えて、育て上げることが俺の役目だと思っているけど。
正直言って、移籍から4年たった今も問題は山積みだよ。ただ、新しい動きも確実に起こり始めている。今取り組んでいるのは、中国人版の力道山を育てること。アジア全域に打って出るのがひとつの目標なんだけど、そのためには現地人が肩入れできるレスラーを作り上げなきゃな。そいつと日本人レスラーをぶつけたら、反日感情もあって盛り上がると思うんだけど(笑)。こないだ、中国の学校の先生にプロレスの話をしてきたんだよ。生徒にプロレスのビデオを見せて、感想文をそのうち送ってくれることになっている。草の根から、プロレス文化があちこちに根付いていくといいよな。
プロレスって儲かるはずなんだよ。CCN創始者のテッド・ターナーは、プロレス団体WCWのオーナーをやることで、一介のケーブルテレビ局をあそこまで育てたんだぜ。俺も負けていられねえな。肝心なのは、あきらめずに続けることだと思う。今日上がらなかった100kgのバーベルは、明日もやっぱり上がらないだろうけど、鍛錬を続けりゃいつかは持ち上がるんだ。全日の歴史は約30年。あと30年は、俺が引っ張るつもりだぜ。 |
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取材・文/漆畑陽生(ネック・ブリーカー・ドロップ)
取材協力/全日本プロレスリング株式会社
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