漫画の原稿料はコートや日本酒!? 漫画を描き始めたのは、中学生の頃ですね。ずっと漫画は好きでした。貸本屋に通ってたしね。貸本屋って知ってます? レンタルビデオ屋みたいなもので、漫画の本を5円くらいで貸してくれるんです。4〜5歳の頃から漫画には夢中だったんじゃないかな。でも、漫画家になろうなんて思ってはいなかったし、特別な子供ではなかったですね。 自分で漫画を描いてみようと思ったのは、石森章太郎さん、今は石ノ森だけど、彼の『漫画家入門』という作品を読んだのがきっかけです。白い紙とボールペンがあれば誰でも漫画は描けるんだって。中学2年生だったかな。自分のノートに鉛筆で、16ページくらいコマ割って描いてみた。これを学校に持って行ったら、みんなが喜んで回し読みしてくれたんですね。それまでの僕はあまり誉められることもなかったんだけど、漫画はみんなに認めてもらえた。創造することの快感にも目覚めちゃったね。 高校2年生の夏休みだったかな。当時、サブカル系二大漫画誌の『ガロ』と『COM』ってのがあって、『COM』のコンクールで佳作に選ばれたんですよ。普通は佳作じゃ掲載されないんだけど、その時は入選作がなくて、僕の作品が雑誌に掲載されたんです。僕も若かったから舞い上がってね。もう絶対漫画家になる、なれるって思いこんだんですよ(笑)。 高校を卒業したらすぐ、漫画家を目指して上京しました。ちょうど大学紛争の時期で、面倒だったから進学は考えなかったんです。ちょっとしたツテを頼って、中野区の沼袋にある大学の学生寮で、誰も入りたがらない3畳の部屋を家賃3700円で借りてました。部屋にあるのはコタツと布団だけ。コタツで描いて、布団で寝るって生活ですね。月間100枚くらいは作品を描いて、出版社に持ち込むんですけど、いやぁ、売れなかったですね。1年ほどして、なんとか『ガロ』が採ってくれて連載できて、どうにか生きていけました。 でもね、当時編集長だった長井さんというのが面白い人で、僕みたいに食えない人間が原稿持っていくと、まず風体風采を見るんです。「こいつ死んじゃうかも」って時には少しだけでも原稿料をくれたり、お金が無い時は着るモノをくれたりしてました。冬の寒い日にTシャツ1枚て行ったら「これ持ってけ」って自分のコートをくれたことがありますね(笑)。そんなだから、食えてる漫画家の人は原稿料なし。つげ義春さんとか白土三平さんも『ガロ』そのものが売れてお金に余裕ができるまでは、原稿料なかったんじゃないかな。生活費はアルバイト。自分では漫画家のつもりでいたんだけど、それじゃ暮らせないから、歌舞伎町でゴーゴークラブのチラシ配ったり、呼び込みしたりしてました。 歌舞伎町で働いてるといろんなヤツと知り合うんです。当時はいっぱいいた「フーテン」系の人や、家出してきて泊まる所がない人とかね。そんな人が僕の3畳の部屋に転がり込んでくる。パチンコ屋で働いてたり夜勤の人がいたり。ひとつの布団に交替で寝て、一番多い時は10人近くが僕の部屋を住みかにしてました(笑)。一度、関西から来たヤクザ崩れのヤツに「かくまってくれ」って頼まれて泊めてやったら、翌朝、なけなしの僕のお金を持ち逃げされて、それから徐々に泊める人間を減らしましたね。 歌舞伎町のチラシ配りもヤクザが元締めでした。一度「給料が安い」って文句言ったらホサれちゃって。お金がなくて何日も何も食べられなくなったことがあるんです。古本屋に大事にしてた本を売ったりしてたんだけど、『ガロ』に原稿持って行ったら、長井さんが日本酒の一升瓶をくれたんです。僕はお酒が飲めないんだけどね。いやぁ、あの時のお酒は本当に美味しかったなぁ。 ●次のページは、「親から借りた200万円は1年で返済!」