|
|
|
|
 |
1回目はコンビニエンスストアからはじめたい。コンビニはスーパーを駆逐した。そのスーパーは町から商店街を駆逐し、シャッター商店街をつくりだしたのだが。日本でスーパー革命を起こしたダイエーの中内功は「売れるモノがわからなくなった」と戦後の終わりを告げることになり、スーパーがコンビニに破れた理由はいまのところわからない。
だが、コンビニこそ今のところロングテール理論と戦う古い時代の最強の勇者に違いない。なぜなら、コンビニの棚は限られているから。通常コンビニには約3000点の商品が置かれている。3000点というのは、むろん店舗あたりの棚と商品数の限界で、売れ筋商品は絶えず入れ替わる。定番でない新商品の寿命はなんと2週間。そのため、日本中のメーカーが日々新商品開発に追われ、売れなかった商品はディスカウント店で山積みにされる。ロングテールというなら、日本中の人通りが少ない場所にあるディスカウントショップが勝ち組になるはずだがそうはなっていない。
その前に、ちょっと歴史をおさらいする。日本のコンビニ第1号店は1974年5月東京江東区に出店されたセブンイレブン豊洲店だ。面白いのは、セブンイレブンが元はアメリカの氷屋さんだったということ。モータリゼーションをいちはやく実現し、なおかつ国土がばかみたいに広いアメリカでは1週間分の食料を大型スーパーへ買物に行く。でも、その食料を貯蔵するには氷が必要だ。いや、電気冷蔵庫が普及しても、ちょっと電球が切れたのに、遠くのスーパーまで行くのは大変じゃないか。そこで、ちょっと用足しに使う雑貨店であるセブンイレブンが大型店との「つなぎ」になった。だから、お、こりゃいいものがあるゾとアメリカからセブンイレブンの営業権利を買って帰った社員は青くなった。だって、日本には最初から近所の雑貨店があるもの。
しかしコンビニは伸びていった。2年後‘76年には100店舗を達成する。当時のマーケッターたちは頭をひねって、それは24時間営業のためだと結論をだした。24時間営業のコンビニは、いつ行っても店が閉まっているということがない。安心感を与える。考えてみれば、それまで朝10時から夕方7時まで営業する百貨店のほとんどの営業時間帯に、昼間働いている人は行くことができない。だが、24時間営業はフランチャイズではじめた個人営業の人々に大変な負担をかけた。それでも頑張ったわけだ。
さらにPOSというシステムが生まれる。販売時点情報管理。誰が何を買ってったかわかるようにした。‘82年のことだ。無駄な商品を避け、売れ筋だけを置く。またもやすごいがんばりだ。
私は百貨店や大型スーパーに勤める友人たちが何人かいて、その人たちの楽しみは、商品搬入者からリベートをとること以外ないと聞かされている。店長や店員が裏金をもらって、わざわざ売れない商品を置いている大型店が、身を削って夜中じゅう働き、売れ筋しか置かないコンビニに勝てるわけがない。コンビニには最近、日本人の目の高さに季節商品を陳列するゴールデンラインの法則や店を明るくするクレンリネスの効果があるなんて言われるが、ようはがんばりの上にがんばりを重ねているわけだ。
コンビニは、そのがんばりのお陰で日本人のライフスタイルになった。先日私は「タバコと飲み物を買いたい」というカメラマンとうろうろした。埼玉県のある地域には、ほとんどコンビニがない。コンビニがなくても人々が暮らしていけるのは、商店かスーパーがあるからだ。その通り、あった。
ところが、たいていはいつもクルマで移動し、コンビニでタバコを買っているカメラマンは、コンビニ以外に入ろうとしない。習慣がこれほど大きなものとは思わなかったが、目の前に大型スーパーがあっても、その駐車場へ入れるのはめんどうだという理由だけで、コンビニを探しまわるのだ。
私はロングテールがどんな風にコンビニを解体していくのか、わからない。コンビニは次の敵に追われるどころか、いまや日本式で全世界に広がろうとしている。本家アメリカも日本式で息を吹き返したほどだ。元はと言えば、コンビの成功は理論でもなんでもない。個々人の異常なまでのがんばりだ。個々人のがんばりがコンビニを支え、そこに不良高校生から寂しい芸能人からなにから集まってくる。
さあ、ロングテールよ、どうやってコンビニの3000点を変えるのか。
●次のページは、「今月のデータチェック/日本におけるコンビニエンスストア店舗数の推移」 |
 |
|
 |
|
|
 |
|
|
|
|
|
|
|