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高校在学中にプロ契約!
山本:バンド活動はいつ頃から始めたの?
橘高:僕ね、中学は大阪の進学校に行ったんですけど不登校になっちゃって。おかげで1日8時間以上ギター弾いてて、のめり込んだんですよね。ともあれ、不登校を克服するには環境を変えるべきだって家族会議で決めて。兄貴が東京にいたのもあって、東京の高校に進学したんです。
山本:自分をリセットしたわけだ。実はミュージシャンに多いんだよねー。
橘高:そうですね。すでにロックにも目覚めていたので、東京に行ったらバンド組めるだろうという期待もありました。実際、六大学の附属高校は横の繋がりというか、ネットワークがけっこうしっかりあって。その中で知り合ったちょっとボンボンな感じの連中と組んだのが『AROUGE』の前身です。
山本:へえ、じゃ、もしかして最初に組んだバンドでいきなりデビューまでこぎつけられたようなもんなの?
橘高:少しメンバーチェンジはありましたけど。僕はとにかく「プロデビューしたい」という志向が強かったんで。ジャパニーズヘヴィメタルブームに遭遇したり、いろんなことが上手くかみ合ったんですね。高校3年生の時にはレコード会社と契約して、母親には「これが就職です」とか言い訳して(笑)。高校卒業した春休みにはレコーディングしてました。他のメンバーは進学しましたけどね。 |
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山本:18歳か。早いね、それは。昔だとそれくらいのミュージシャンだと本人の代わりにスタジオ・ミュージシャンが演奏するなんてことも少なくなかったんだよね。もちろん橘高君のギターは誰にも真似できないからそれは無理だよなー。
橘高:そうですね。今聴くとやっぱり青いですけど(笑)。ま、18のガキが恭司さんに太刀打ちできるような演奏はできるわけないし、甘さとか青さとかをパッケージングしちゃえばいいや、と。青いけど、あの演奏は18の僕にしかできなかったわけだし、当時の自分を誉めてあげたいですね(笑)。
山本:ホント当然といえば当然かもしれないけど、もうすでにしっかり橘高文彦してるものね。でも『AROUGE』の活動はそんなに長くなかったんだよね。その後はすぐ『筋肉少女帯』に?
橘高:結局、21歳の時に解散しようってことになったので、『AROUGE』の活動期間は実質2年ちょっとですね。「筋少」に入ったのは23歳だったから、2年ちょっとのブランクがあります。
山本:じゃあ「筋少」入りのきっかけは?
橘高:アマチュア時代、「筋少」とはイーストウェストとか、コンテストでよく会っていたんです。僕らは優勝したりベストギタリスト賞の常連で、「筋少」は白塗りとかでやってベストパフォーマンス賞とか(笑)。同級生だったんで、後から聞くと『AROUGE』がデビューした時、チクショーとか思ってたらしくて。
山本:ははは。
橘高:僕は『AROUGE』を解散した後、音楽スタジオでアルバイトしてまして。「筋少」もデビューしたけどギタリストがなかなか定まらなくて。たまたまスタジオに来てた共通の友人から僕のことを聞いて「高校生の時いつもベストギタリスト賞取ってた『AROUGE』のアイツ、一回呼んでみる?」みたいな感じだったんでしょうね。
山本:なるほどね。でも、ハードロックの王道的なギタリストの橘高クンとしては、突然『筋肉少女帯』って言われてもあまりに向いてる方向が違ってたわけじゃない。彼らの音楽性に対して抵抗はなかったの?
橘高:『AROUGE』もそうなんですけど、僕はコテコテでも、僕以外のメンバーはコテコテとやったことないんです。僕にないものと一緒になることで、化学反応を起こしてこの世に一つのハードロックバンドをやりたいっていうのは、高校生の頃から思ってまして。あと、自分が人間としてオーソドックスなことは自分自身が一番知ってるから。僕が化学反応を起こすためにも、自分のクローンみたいな人と組んでもしょうがないと。
山本:ほほお。より優秀な子孫を残すために少しでも遺伝子のタイプの違う人を選ぶようなものなのかもね。
橘高:音楽性ということでは、「筋少」で、年代感のない、不滅のハードロックが作っていけたら面白いなと思いましたね。僕がヘヴィメタルの殉教者のような位置にいて、そこに大槻がいればユニークさが際だつんじゃないかって。
山本:大槻クンのヴォーカルだと、絶対普通のヘヴィメタルにはなり得ないもんね(笑)。確かにそれまで存在しなかった独自の世界を築きあげてたよ。“日本印度化計画”好きだったなー。
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