気がついた時には、
頭の中で勝手に音が「鳴ってた」。
物心ついたときには、頭の中で、音が「鳴ってた」。本当はもっと早くから鳴ってたのかもしれないけれど、意識したのは7歳くらいですね。
父親の趣味で、ジャズとかソウルとか聴く機会は多かったんだけど、音楽をきちんと習ったことはないんです。うちにピアノがあったんで、勝手に鍵盤を見てイメージで和音を探して遊んだりはしてましたけど。小さい頃から、知らず知らずに脳内に音をサンプリングしてたのかな…。常に自分の中で音が鳴ってるもんだから、アウトプットしないと気持ち悪くなっちゃう。だから、曲作りを始めました。小5くらいからです。
学校の成績は1、2、1、2…。国語と美術だけは4くらいだったかな? 勉強は好きだったけど、自分の好きな部分しかやらなかった。社会だったら歴史とか土器関係(?)とか、興味のある部分だけ図書館に行って調べたりしてました。小5の頃にはもう、作曲の仕事をやりたいと思ってましたね。そうでなければプロデューサーとか、裏方の仕事ね。自分が表に出てやりたいとは思ってなかったんですよ。ルックスだって地味だし、そういうタマじゃないなあと思ってたから。
ちょうどその頃に、露店の中古レコード屋でバイトを始めたの。レコード屋っていっても露店ですよ。寅さんみたいな怪しいオジさんが、ビールケースの上にベニヤ板置いて、レコード並べて売ってる。そのオジさんが大音量でラップみたいに口上をあげててね。俺も、勝手にマイク持って真似たりしてたの。で、オジさんと仲良くなって、たまにヤキトリなんか奢ってもらったりしてるうちに、おまえこの店手伝えよ、って話になりまして。
並んでたのは、米軍のベースのジュークボックスに入ってた洋楽とか、町の盛り場でかけられてたド演歌とか、本当にジャンルレス。で、傷がひどいのや、ジャケットがないのや、そういう売り物にならないレコードは段ボールごともらえたんですよ。映画音楽とか、ポールモーリア楽団とか、歌はないけどメロディで泣かせてくれるような素晴らしい音楽にたくさん出会えたり。どさくさまぎれにぴんから兄弟が入ってたり(笑)。ぴんから兄弟はコブシが利いてていいな、スティービーワンダーもコブシが利いてるな、とか、そういう聴き方してました。今クレイジーケンバンドがジャンルレスなのは、その段ボールがジャンルレスだったからかもしれないですね。
中学に上がる前の春休みに引越しをしたんで、今までの履歴を知ってる人がいない中学で生まれ変わってやろうと思って。頭を丸坊主にして、柔道部に入りました。それまでちょっと不良だったのが真面目になったの。まあ、一瞬でしたけどね!
1年後にはすごいリバウンドがきて、丸坊主からリーゼントに変わっちゃいました。それで「チャリンコ暴走族」を結成して、チョッパーハンドルとかつけた改造自転車に、ラッパつけてパフパフいわせたりしてました。その暴走族は「毒ガス」って名前でしたが、やばい名前のわりに、ケンカよりも、楽しく行こうぜというのがモットーで、ファンキーにやろうという組織(笑)。メンバーは20人以上いたかな。その中で、人生はじめてのバンドを組むことになったんです。
バンド名は「ライナース」。キャロルとかのコピーバンドでした。近くにあった遊園地の中のビアガーデンでハコバンやったりとかしてました、中学生なのに。不良は縦のつながりが濃いから、先輩が口を利いてくれてね。僕はその時からボーカルでした。本当はドラムをやりたかったんだけど、ドラムは3人いたんで。「おまえ、ボーカルやれよ」と言われてちょっと嬉しかったんだけど、でも俺シャイなんだよね。牛乳飲んでるところを人から見られると飲めなくなっちゃうくらい気が弱いんだよ(笑)。初ステージでは終始うつむいて「きみはファンキーモンキーベイベ…ぼそぼそ」って(笑)。これじゃまずいってんで、サングラスを買ってきたの。それから外せなくなっちゃったんだよね、サングラス。今日かけてるやつ、これ、当時買った現物ですよ。
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