愛はブランドが裏付ける。
だが、安い習慣に堕ちたバレンタインデーは、そこから復活する。きっかけは1990年の「ティラミス」ブーム。「私を元気にして!」という名のこの菓子は、バブル崩壊間際の日本人に受けた。ティラミスが衰えるとクリーム・ブリュレが現れ、ナタ・デ・ココからパンナ・コッタあたりまで「ポスト・ティラミス」と冠され、その細い菓子ブームはカヌレになりベルギーワッフルへとつながった。いわば菓子ルネッサンスだ。
そのうち『料理の鉄人』がやってきて、小さなレストランの復活を描いたドラマ『王様のレストラン』にみなが萌え、どうやらそこにはパティシエ(お菓子係)なる専門家がいるらしいと広まった。で、そのパティシエの上を行くのがさらなる専門家ショコラティエということが広まったのが現在の状況だ。
「日本の大衆菓子が大きな壁にぶちあたったのは、まさに大衆文化の国際化現象の普遍化と軸を一つにしています」(菓子専門雑誌『フードニュース』‘00年9月号)。菓子メーカーの新製品開発は「田舎菓子づくり」になったと、同誌は酷評するしかなくなっている。
そもそもチョコとはなんだったのか? 16世紀初め、メキシコ遠征したスペインのフェルナンデス・コルテス将軍がアステカ王朝からカカオを持ち帰る。これが現代の「マカ」みたいな媚薬と過大評価されヨーロッパに広まった。オランダ人がココアパターを絞り出すのに成功し、イギリス人が板チョコにしたのは1847年。ミルクを加えたのがスイス人。ジャレド・ダイアモンド『銃・細菌・鉄』みたいな歴史的進化を遂げてきたスイーツなのだ。
だから、パリの『フォブール・サントノレ』にチョコレート専門店(1977年にできた『ラ・メゾン・デュ・ショコラ』)誕生! みたいなことがヨーロッパでは起きる。いっぽうで、日本の菓子メーカーは高級化するどころか、製品としては退化していたのだから勝負にならない。
で、高級ブランド店と同じく、天才ショコラティエのチョコが、今の時期、百貨店の呼び物になった。日本の女性たちにとって、とっておきの愛はロングテール的な「品揃え」よりも「ブランド」で証明されるのだ。なにしろ、香水やバッグと違って、世界の一流品がほんの数千円で手に入るのだから。
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