修学旅行をサボって、山ごもり。
ホスピタルクラウンとして取材を受けることが増えているんですが、どうもマスコミは、僕を「いい人」にしたがりますね。愛とか、涙とか、そういう文脈で語られてしまう。確かに無償で病院を回っていますが、「ラブ&ピース」の精神で目を潤ませたボランティアだとは思ってほしくない。目の前の誰かを笑わせ、なごませ、気持ちを軽くする。これは、クラウンが職務として果たすべき役目。気持ちだけが先走ってパフォーマンスがついてこないんじゃ、子供だって笑えない。情は深いけど技術がゼロの医者なんてイヤでしょう? 同じことです。僕はあくまで、プロですから。
だいたい、少年時代の僕は、「いい人」どころか典型的なガキ大将だったんです(笑)。生まれつき体がデカかったし、何をやっても一番だったし。走っても跳んでも、誰も僕にはかないませんでした。少年野球をやっていたらスカウトが来たこともあった。「大棟さんちの耕ちゃんはすごい」って近所でも評判でした。
中学に上がると同時に、陸上を始めたんです。全国的に有名な強豪校で、練習もめちゃめちゃハードだってウワサを聞いていました。よし、どれだけハードなのか確かめてやろうと思って入部したら、これが想像以上にキツかった。走らされすぎて、足を痛めてしまいました。治るまでは練習もできないから、先輩のために棒高跳びのポール運びなんかをしていたんです。その時にふと思いついた。棒高跳びなら走る距離も短いし、ちょっとはラクかもしれないぞ、って。不純な動機ではありましたが、始めてみると面白くってね。昨日よりどれだけ高く跳べたのか、記録がはっきり出るから目標を立てやすい。あと1センチ、もう1センチと打ち込むうちに、全国大会の優勝候補と言われるまでになっていました。
ところが周囲の予想に反して、中学時代は一度も優勝できなかったんです。くやしかったですね。このまま棒高跳びをやめるわけにはいかないと、高校に入っても続けました。当時ののめり込みようはすごかったですよ。朝も夜も練習漬けで、授業中は体力を温存するためにひたすら熟睡。書店に足を運んでは、栄養学や運動力学の本を買い込みました。丸刈りの高校生が専門書を読みふける姿は、さぞかし異様だったでしょうね。修学旅行も仮病でサボり、山にこもって練習していたんです。
目標を見つけると、それに関わること以外のすべてがムダに思えてしまうんですよね。ただでさえ1日は短いのに、よけいなことに時間を使いたくない。今でも、電車の乗り換え時間とか、イライラしてしょうがないですよ(笑)。
あそこまで打ち込んだおかげで、全国ランク1位の記録も残せたし、もちろん優勝も果たしました。そのかわり、いわゆる高校生らしい青春とは無縁だった。でも、苦に思ったことはありません。誰かとつるむのではなく、一人で黙々と目標に向けて努力するやり方が性に合っていたんでしょう。この調子でいけばオリンピックだ。そう信じて、疑いませんでした。
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