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月刊チャージャー6月号
【逸話】好きが高じてわらしべ社長
無限電光株式会社 代表取締役社長 竹内健詞
小学生の頃から乗り回したバイクが、30年後、ビジネスのヒントになった。
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1959年、愛知県生まれ。高校卒業後、19歳で、電気工事などを請け負う「無限電光」設立。以来、並行輸入業や飲食店経営など、さまざまな事業に関わる。1995年、バイク用のエアバッグジャケット開発に着手。2000年、「無限電光」法人化。2001年には「hit-air」ブランドを立ち上げ、本格的に販売を開始。個人向け販売の他、スペインを皮切りに各国の警察に導入され、現在、国内13都道府県警導入・海外31ヶ国の販売実績。国内外有名ブランドへのOEM供給も手掛けている。警視庁の装備大会・銅賞、世界発明展Safety
Protection Life-Saving部門・金賞、同・総合銀賞、パリ乗馬博金賞、中部ニュービジネス協議会・会長賞など、受賞多数。 |
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牛のフンが、パイロンがわり。
バイクとの縁が始まったのは、小学生の時。親父が通勤用に使ってたスーパーカブとかを勝手にいじり倒して、中学生のはじめぐらいの頃には山の中を走り回ってた。牛小屋があって、牛のフンがあっちこっちに積み上げてあるんだけど、それをパイロンに見立ててさ。よく突っ込んだよ。フンの山に。
中学、高校とバイク仲間が増えていった。家が溜まり場みたいになったよ。そのうち車でレースでもやってみようかということになって、みんなでチームを組んだんだ。50人はいたかなあ。リーダーはオレ。ただ、そんなのはあくまでレースの世界に限った話でね。学校では一匹狼だったよ。つるむのはもともと苦手だし、バイクで事故ったりして「アイツは問題児だ」って目で見られるようになっていたし。まあ、別に困らなかったよ。学校行ったって、1時間目に弁当食い尽くしたら、あとは寝てるだけだもん。おかげで、部活だとか女の子とか、普通の学生が味わうような青春には縁がなかった。頭の中はレースだけ。休みの日は鈴鹿で練習して、平日は肉体労働系のバイトで資金を稼いで。
そうこうするうちに、レースで目立つようになってきた。オレ、ヘアピンとか怖くないんだ。平気で突っ込んで、まわりのヤツをどんどん蹴散らしていく。牛のフンに鍛えられたおかげだね(笑)。そういう怖いもの知らずな走りが受けて、スポンサーになってやるって企業が出てきた。ところが、供給してくれるのはタイヤだとか、あくまでパーツ単位なんだ。車丸ごとつぶしちゃうとどうにもならない。結局レースの世界って、走りのテクニックが一定レベルに達したら、あとは財力の勝負なんだよ。金があり余ってるスポンサー見つけて、すげえメカニックそろえて、何台つぶしても車の替えがあるヤツが生き残っていく。金のない自分としては「やってられるか」だよね。自分1人の話ならまだガマンできるけど、50人のチームを背負ってるわけだから。少しずつ、レーサーへの夢はしぼんでいった。「世の中、金なんだ」ってうすうす感じ始めたのは、あれが最初だったかなあ。
●次のページは、「大失恋が教えてくれた、“世の中は金と地位”。」 |
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