化学実験からロケット開発へ
(危険なのでマネしないでください)
小学校3年の頃に、化学に興味を持ちまして。フラスコや試験管といった実験器具や、いろんな化学薬品を揃え始めたんです。子どもに化学薬品なんて売ってくれないから、親を一生懸命説得して入手してました。で、自分で塩素を作ったり酸素を作ったり、硫酸を買ってきてガス作ったりというところからスタートして。いつの間にか自分の部屋がすっかり理科実験室になっていました。
化学熱はどんどんエスカレートしていたのですが、化学実験の説明書に、黒色火薬の作り方というのが載っていまして。最初は線香花火を作ったりしていたのですが、そのうち興味を持つようになったのがロケットです。空に駆け上っていくロケットをどうしても自分の力で作ってみたくなったんです。でもこれが実に難しい。火を弱々しく噴射するだけで一向に飛び立たなかったり、地上で破裂しちゃったりとかね。延々試行錯誤を、数百回は繰り返した気がしますが、その全てはとても覚えていません。ただ、初めて飛ばすのに成功した瞬間ははっきり覚えています。中2の夏でした。手のひらに載るくらい小さなロケットですが、勢いよく地面を離れて、夕空の中に飛び去っていきました。あの感激は忘れられないですね。
その後、安定して飛ぶロケットの技術を確立するにはまだ長い試行錯誤があったのですが、高校くらいの時に固体燃料ロケットのノウハウをほぼ確立して、高度にして500mくらい上昇するものが確実にできるようになってきました。その後、高度1kmを超えるようなものに成長させていくのですが、そこでは色々な勉強が必要になりました。ロケットそのものはもちろんですが、流体力学や弾道計算の方法、そして燃料を合成するためにアメリカの化学論文を取り寄せたりしました。実はふだん学校の勉強はあまりまじめにする方でなくて、英語の成績もかなりひどかったのですが、その時だけは論文を読むために勉強したせいか、急に英語の成績が上がって、先生や周りに驚かれたのを覚えています。
しかし、本格化には限界があったのです。性能がどんどん上がり、飛ぶ距離も伸びていくと、発射実験ができる場所も限られてきます。万一の事故が起きては取り返しのつかないことになる。若気の至りと言えば若気の至りなんですが、今思うとやはり良くないわけです。現実的に周りへ迷惑をかけるわけにはいきません。そのころ、レンズ式プラネタリウムに本格的に取り組んでいたこともあって、ロケットは少なくとも法的な面も含めたそれなりの環境を整えられるまで「まずは潮時かな」と、しばらくストップすることにしたのです。
そういう僕を、いろんな意味で親は心配していたと思います。ただ、頭ごなしにやめろと言われたことはありませんでした。純粋に作りたいから作っている。理科や科学に何の知識も関心もなかった両親は、私がやっていることはチンプンカンプンだったけれど、夢中に取り組んでいるのを見て、それをやめろとはできなかった、と言っています。
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