プラネタリウムのために大学を休学し
世界初の個人開発に成功!!
大学に進学したら、理系なだけに勉強も山積みで、時間がなかなか取れなくなってきました。そこで、いったん休学してプラネタリウムに専念することにしたんです。開発資金を作るために働かなきゃいけないとも思いましたしね。もう少し機転のきく人間だったら、スポンサーを見つけてきたりもしたんでしょうけど、どうも僕には、そういう方面の才能はなくて。求人情報誌でたまたま見つけたのが、秋葉原にある、電源装置メーカーの修理のアルバイトだったんです。
ちょうどその頃、プラネタリウムの電源をどうすべきかで苦しんでいたんですよね。面接には、自分で作った電源を持っていきました。「電源に興味があるんです」と言ったら「へえぇ…変わってますねえ?」って。まあ、いくら電源メーカーといっても、まさか自分で電源作ってるようなマニアックなやつがアルバイトに応募してくると思わないですよね。技術の部長さんが出てきて、びっくりしてましたが、とても興味を持ってくださって、めでたく採用となりました。
製造部門のアルバイトとして入ったんですが、技術部門の人が面白がってくれて、本来は入れない技術部に出入りさせてもらえるようになったんです。電源技術は僕にとって何としてもマスターしなければならない課題でしたから、技術部は、僕にとってまさに宝の山でした。そして、念願かなって間もなく技術部に異動。それだけでなく、「無給実習生」という扱いにまでしてくれたんです。毎日、アルバイトとしての仕事が終わったら、その後は無給だけど社内の設備や部品を自由に使っていい、好きなだけ使って研究していい。その代わり、研究物についてはレポートを提出するようにと。僕は自分のプラネタリウムに使うための特殊な電源回路を作ろうとしていたんで、会社にとってはたして有用な研究結果になったかは疑問ですが、会社の人たちは、僕の情熱に、半ば苦笑いしながら協力してくれた、そんな風に感じています。あれは本当に有り難かったです。あの経験がなかったら、プラネタリウムは成功できなかったかもしれません。
ただ、この頃、電源のために投入した時間や労力はすさまじいものがあったんですが、そこまでして自分で作らなくても、例えば市販の電源を使うなりしても良かったわけで、明らかに僕のバランス感覚はおかしかったんですよね。ただ、その過程でエレクトロニクスの知識と技術は飛躍的に向上しました。最高の勉強期間になりましたね。
あと、このアルバイトを通じて「仕事としてのモノ作り」の現場を見ることができたことも、大きな収穫になりました。当たり前なんだけど、作ったものに値段をつけて売るプロの仕事っていうのはやっぱり違うんだなあと実感した。自分も、こんなふうに会社の中でさっそうと仕事をするエンジニアになりたいなあ、なんて憧れたりもしましたね。
個人開発としては世界初となるレンズ投影式プラネタリウム「アストロライナー」が完成したのは、復学して翌年の秋、大学3年の時のことでした。
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