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月刊チャージャー10月号
【逸話】好きが高じてわらしべ社長
有限会社ファインモールド 代表取締役社長 鈴木邦宏
宮崎駿監督との版権交渉は、趣味の話で過ぎてしまった。 |
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1958年、愛知県豊橋市生まれ。工業高校の建築科を卒業後、跡継ぎとして家業の建具屋で見習いを始める。だが「職人に向いていない」という父の言葉をきっかけに断念。建築設計事務所・コンクリート会社を経て、金型会社在職中に初めてのオリジナル模型「リーザ」をリリース(販売元は鈴木氏が率いる模型サークル『無限軌道の会』)。1987年、ファインモールドの前身となる「無限モデル」を設立。翌年からはファインモールドとして戦車や戦闘機を中心にリアリティあふれるオリジナルプラモデルの製作を開始。1999年より映画「紅の豚」、2001年より「スター・ウォーズ」に登場する戦闘機の模型化を手掛け、注目を浴びる。2004年、愛知県より愛知ブランド企業認定。2007年、中小企業庁より元気なモノ作り中小企業300社選定。鈴木氏個人としても、2005年に豊橋市より「とよはしの匠」として表彰を受けている。
(写真)第二次世界大戦当時に使われていた本物のウィリス社製ジープを所有。ヨーロッパで仕入れたという機銃台座も装備し、時々これで近所を走るという。
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あの宮崎駿監督とマニアックな話で盛り上がり、漫画家・鳥山明氏にプラモデルの説明書まで書かせ、ルーカス・フィルムからも認められた人物。愛知県豊橋市の畑の中にあるこの会社の社長が、なぜそんなポテンシャルをもっているのか。父親から建具職人としては失格と言われた彼が、模型における世界的な職人として名を馳せるに至った、その濃い生き様を綴る。
ビートルズより軍歌を選んだ中学生。
初めて模型を組み立てたのは3歳の時。もちろん、自分じゃ覚えてないよ。母親からそう聞かされたんだ。当時、ちょうどプラモデルが世に出回り始めた時期だった。今の子どもたちが必ず一度はゲームを手にするように、僕らの世代はプラモデルを経験した。小学生ぐらいになると、毎日のように駄菓子屋に寄っては、新製品を冷やかしていたな。
とはいえ、模型だけにのめり込んでいたわけじゃないよ。当時、僕の小遣いは1日10円くらい。模型は最低でも100円。買おうと思ったら10日間は何もせずにガマンしなきゃならない。そんなことできるタイプじゃないから、なかなか買うには至らなかった。それにさ、小学生の頃なんて、ほかにも楽しいこといっぱいあるじゃない。火薬集めて爆弾作ったりとか。僕は近所でも評判の“ぼっくう(=やんちゃ坊主)”だったから、仲間を引き連れてあちこち遊び回るのに忙しかった。模型は遊びの選択肢のひとつでしかなかったんだ。
変化が起こったのは中学生の時。本を読み出す年頃だよね。僕が手にしたのは戦争関連の本。今どきの学校の図書館なんて子ども向きのつまらない本しか並んでいないんだろうけど、当時は結構しっかりした本を読ませてもらえたんだ。チャーチルの「第二次大戦回顧録」とか、むさぼり読んだな。同級生は音楽をかじり出したりしてたけど、僕はまるで興味を持てなかった。「ビートルズ? 俺は軍歌でいいよ」って思ってたくらい。そのかわり、戦争については歴史の先生より詳しくなっていった。授業中に先生が間違ったことを言うと、手を挙げて訂正してやってたよ。
やがて、兵器への興味が芽生えたんだ。模型として自分が組み立てた戦車が、どんな時代背景で生まれて、どんな戦場で戦ったのか。戦況をどう変えたのか。夢中になったよ。これは今でも変わらないけど、単にモノとして兵器を見るんじゃ物足りない。その背後にある時代、思想まで確かめないと気がすまない。母親には「その情熱を勉強に向けたら、学校で一番になれるのに」って嘆かれた。でもさ、学校で一番になっても、日本で一番になるにはまだまだ道が遠いよね。その点、模型だったら、日本一に手が届く気がしていた。
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