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ワンコールワーカーと
ホワイトカラー・エグゼンプション
今年の流行語大賞にはまったく取り上げられなかったが、ワンコールワーカーとホワイトカラー・エグゼンプションという新しい2つの言葉がある。2つは異なった社会階級に属する言葉であり、内容的には逆の意味を示すが、ひとつの意志によって、仕事におけるロングテール化の追い風になる。
ワンコールワーカーは、2006年3月1日の労働派遣法改正からきている。製造現場への派遣や医療関連への「紹介予定派遣」が可能となったり、従来1年間であった営業などへの派遣期間が最大3年間に引き上げられたことなど派遣の規制緩和だ。携帯電話に「明日お仕事できますか」というメールがはいり、認識番号を答えて1日単位の日雇い労働に従事するのがワンコールワーカー。月25日重労働に従事して収入は15万円ほどにしかならない。
ホワイトカラー・エグゼンプションとは、一定以上の年収(経団連は年収400万円以上と提案)があるサラリーマンに関する法改正だ。ホワイトカラー労働者に対する労働時間規制(1日8時間・週40時間の法定労働時間)を適用免除(exempt)する。そもそもブッシュ大統領と仲良しの小泉首相がアメリカにならって2004年3月に導入を決定した。雇用対策の問題点は求職者と求人側のミスマッチだ。裁量労働制やフレックスタイム制だけでは対応が不十分だから、もっともっと厚遇なホワイトカラーを締め付ける必要があると。
2005年になって経団連も「ホワイトカラーの働き方は裁量性が強く、労働時間の長さと成果が比例しない」と「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」をした。その前身、経団連と統合した日経連は早くも1995年の「新時代の『日本的経営』」というレポートで、日本の雇用制度を変革することを求めている。「ひとにぎりの正社員」「少しの専門家」「大多数の非正規雇用」というものだ。
非情である。まさに格差を作ろうという話だ。それでもこの提言は非難されるどころか、当時歓迎された先進的な考えだった。つまり、経済一流政治家二流とか、官僚主導型と言われた日本は、世界に対抗しうる人材を育成できなかった。それは、護送船団方式の「なあなあ」が悪い。ひとりの超エリートが国を導くのだ、と(教育も、こっちのほうに流れた挙句、おちこぼれ、不登校を増やした)。
社員の8割は2割のできる社員の仕事で食っている。そんなやつを甘やかすとますます働かなくなる。失われた十年の最中にある日本は、不況の原因を、官僚が悪いんだか、無能な経営者が悪いんだか、世界の進歩についていけないのはITが遅れてるせいなのかわからないまま、「悪いのは無能な役人だ、一般大衆だ」的な考えで、エリート主義を歓迎した。
かくして、猛烈な勢いで労働市場の流動化「流通手段の民主化」が進んだ。いま、安倍内閣は「上げ潮派」とかいって、経済成長重視に税制や医療制度や社会保障も改革しようとしている。企業と金持ちは優遇し、貧しい者は尻を叩けという方向だ。腹いせに言うのではない。それが世界競争ではある。
しかし、そんな制度が始まる前からワンコールワーカーでホワイトカラー・エグゼンプションのライターをやってきた私は、それが無茶苦茶なだけの制度だとは思わない。物書きには出版社からの電話で仕事をもらい、労働時間規制などそもそもない。そもそも、口約束で本を書き、だめなら突っ返される。
だが、そこにはこの業界ならではの信頼関係が、いや、まだどん底までは落ちてない出版界のかすかな余裕がある。人情味のようなもので、かろうじて救われている。それがなくて、人の仕事を、やけに長い、痩せた尻尾にしてしまっていいものか?
●次のページは、「今月のデータチェック/正規雇用者数と非正規雇用者数の推移」 |
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