■ゲスト:石原慎一郎 [Shinichiro Ishihara] 1978年、高校の同級生だった二井原実(X.Y.Z.→A/ラウドネス)らと共にアースシェイカーを結成。その後、メンバーチェンジを数回経た後、1983年にアルバム『EARTHSHAKER』でメジャーデビュー。1986年には国内のハードロックバンドとしては初の武道館ライブを開催。1993年には7th SINGLE『Say Goodbye』を発売し、各地の有線放送局で1位を飾るものの、同年12月に“使命をまっとうしての発展的解散”と衝撃の発表をする。その後、樋口宗孝、寺沢功一、二井原実と結成したSLYでの活躍を経て、1999年には5年振りにアースシェイカーを再結成。現在は、天野月子、二丁拳銃らのプロデュースも務めるなど多忙を極めている。 ・アースシェイカー 公式サイト 山本:俺も最初はお金がなかったから、家にあったマンドリンからはじめたんだ(笑)。当時は世間的にギターをはじめると不良だっていうイメージがあったよね。いい子だったシャラも、一気に不良の仲間入りしちゃったわけだ。 石原:付き合っていた友達はそんなに不良ってわけじゃなかったんですけど、音楽が好きで髪も伸ばしていたし、勉強もしなくなったし。親を泣かすようなことはしなかったけど、だいぶ心配はかけたでしょうね。 山本:俺は家の中じゃ荒れてたなあ。親の言うことなんて絶対聞かなかったし。友達もワル系のヤツ少なくなかったね。それこそ番長みたいな奴とかね。でも、彼らの前でビビりながらもギターを弾くと、逆に「うまいじゃねーか」って一目置かれたりしてね。ちなみに人前ではじめて演奏したのはいつ頃? 石原:中学からバンドをはじめて、高校2年の時に文化祭に出たんです。そこで、初ステージなのに、やたら客に受けちゃったんですよ。その時の体験があったから、いまだに音楽をやり続けていられるんでしょうね。 山本:その頃のバンドがすでにアースシェイカーだったの? 石原:いや、高校の別のバンド。大学に入ってからですね、本格的にプロを目指そうと思ったのは。その頃は妙な自信があって、お金もないのにギブソンとか、マーシャルを次々に買ったりして。周囲のギターやってる奴には負けるかって感じで。 山本:シャラは大阪だっけ? 当時の大阪はハードロック熱が高かったよね。 石原:どこそこの誰がめっちゃ上手いとか、すぐにいろんな噂が耳にはいってくるんですよ。で、俺は俺でそいつらには負けんぞって。結局、当時、有名だった連中はみんなプロになりましたね。 山本:俺なんか島根だから、他人と自分を比較することも最初はなかなかできなかったな。もちろん、上手い奴もいたけど、やっぱり絶対数が少ないからね。常に色んな海外のバンドのレコード聴いてて、そのギターフレーズを全部コピーできたら、「もう俺は世界レベルなんだ」とか勘違いしてたりして。 石原:当時は、ディープパープルさえ弾ければ、プロになれると思ってる人が多かった(笑)。 山本:速弾きを完全コピーさえできればプロになれるとかね。そんなわけないのに(笑)。