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『爆笑問題』太田と結婚。
気付いたら自分が社長に。
太田と知り合ったのは、太田プロに入ってすぐでした。新人たちで合同コントをやろうとして、打ち合わせで私の部屋にメンバーが集まったんです。太田に言わせると、これも合同コントだから「合コン」だったんだって。その打ち合わせ中、コタツの中で2人でずっと手を握り合ってて、そのまま太田は私の部屋に居着いてしまったんです。ずっと、どちらが先に手を握ったかで揉めてるんです(笑)。私からじゃないんだけど、あちらも「自分じゃない」と言っている。でも、絶対に私からのはずはないんですよね。
私はそれまで年上としかお付き合いしたことがなかったので、最初はすごく子供に見えたんです。部屋に居着かれても「まあ、いいか」って、拾ってきた猫とか、そんな感じで。イヤだったら追い出してたとは思うんですよ。たぶん春ちゃん(春一番)だったら追い出してたし、うーん、田中でも追い出してただろうな(笑)。それが追い出さなかったのは、やっぱり不思議ですね。
爆笑問題のことは、私自身すごく評価していました。ネタの作り方や着眼点が斬新で。ただ、当時の彼らはまだ子供だったのと、常識外れの部分が悪い方向にいっちゃうところがあって。太田プロも辞めちゃって、不遇な時代があったんです。私と太田はもう結婚していました。でも、いくら年下とはいえ、夫の仕事にあまり口出しするのはよくないかなと思っていたんです。私はまだ太田プロのタレントだったし。
当時、私と田中は同じコンビニでバイトしてたんですけど、田中はもう店長になりそうな勢いで、コンビニで生き生きと働いてたし。太田は太田で家でファミコンやったり本読んだり、遊んでばかり。どこの奥さんもそうだと思うんですけど、自分がどうこうというよりも、夫に頑張ってもらわなきゃいけないじゃないですか。それなのに、今の状況はもったいないな、と。これは「私が何かしないとダメかな」って考え始めたのが、爆笑問題のマネージャーを始めるきっかけでしたね。
ちょうどその頃、NHKの『新人演芸大賞』に出てみないかって、知り合いの方から太田に連絡があったんです。私と田中は「今さら新人?」と言ったんですが、これは太田がどうしてもやりたいと。また、同時期にテレビ朝日の『ガハハキング爆笑王座決定戦』という番組出演のオファーもいただきました。10週勝ち抜いたらチャンピオン!という。私としては、じゃあここで結果を出してもらって、ちゃんと会社を作ろうと考えました。
で、2人がやっちゃうんですね。ちょうどコンビニでバイト中に「新人演芸大賞獲ったよ」って連絡をもらって。『ガハハキング』はまだオンエアは始まってなかったですが、5週目まで収録が終わっていて、無事に勝ち抜いていました。もう、連絡をもらったその日にコンビニの店長に「たいへん申し訳ないですが、私も田中も今週いっぱいでバイトを辞めさせていただきます」と。ええ、もちろん田中には相談なんてしていません。だって、タレントとして一生懸命やらなきゃいけない正念場に、コンビニでバイトしてる場合じゃないでしょ。
スタートは『タイタン』と屋号を付けて、個人事業主だったんです。奥さんが旦那のマネージメントをやるのは、落語家さんとかでは普通のことですし、それでいいかなって思ってたんですけど。そのうちに爆笑問題が売れてくると、同世代の不遇な芸人が太田を頼って「プロダクションに入れてくれ」と来るようになったんです。最初は断っていたんですけど、そのうちに断り切れなくなったところがあって。他人を預かる責任を果たすためには、ちゃんと会社にしなきゃいけないなと。1年半ほどで法人成りしました。
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