プロの図面を見て「大したことねえな」。
ところが、模型がらみの仕事ってそんなに思いつかないんだ。特別な経験を持っているわけでもなし、じゃあ模型屋でもやるか、くらいのことしか浮かばなかった。
模型屋を始めるには元手がいる。手っ取り早く稼げる仕事を探したら、コンクリート屋が見つかった。月給12万円。設計事務所は6万円だったから、倍の金が手に入る。ただ、ここでまたしても親父に阻まれてしまった。「コンクリート屋になるくらいなら出て行け」って、ものすごい剣幕だった。当時は、「三文職人」なんていうひどい言葉があって、コンクリート職人もそのひとつとされていたんだ。親父には自分が一流だっていう自負があるから、息子がそんな仕事に就くのがガマンならなかったんだろう。結局家を出て、安アパートに引っ越す羽目になった。
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| 軍用機などのプラモデル製作は徹底した下調べから始まる。写真は、戦時中に使用されていた戦闘機やエンジン、機銃等の図面のコピー。軍事図書館や靖国神社から、あるいは実際にそれを持っている人を捜し出し入手するのだという。航空ファン等の市販本も1950年代からのモノが揃っている。 |
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コンクリート屋で働き始めて少し経った頃、模型部の仲間と再会したんだ。そいつは大学に進んだんだけど、卒業して模型メーカーに潜り込んでた。そいつが言うんだ。「メーカーに出入りしている金型屋が、職人を募集してるぞ」ってね。なるほど、そういう道もあるなと思って、紹介を頼んだ。金型屋といっても、3人くらいでこじんまりやってる会社だ。面接では開口一番、機械をさわった経験を聞かれたよ。あるわけないよな。おまけに僕はもう22歳で、職人見習いには年を取りすぎてる。向こうもだいぶ迷っていたみたいだけど、なんとか住み込みで働かせてもらえるようになった。
金型屋にはメーカーから図面が持ち込まれてくる。それを見てまず思ったのが、「大したことねえな」。生意気にも、ガマンできずに勝手に作り変えたこともあった。あまりにもリアリティに欠けたり、嘘がある設計だと納得できないんだ。「なんだかすごいマニアが来たらしいぞ」って、あちこちで話題になっていたらしい。そのうち、だんだんと虫がうずき出した。持ち込まれた図面に対応するだけじゃなくて、自分の手でオリジナルの模型を生み出してみたくなったんだ。そこでデザインを依頼した相手が、以前から模型を通じて親交があった鳥山明さん。
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