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市民の手でニュージーランドの原風景を取り戻す──「鳥の楽園」に見る参加型の自然保護とは?

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Sponsored by ニュージーランド航空

配信期間:2017/5/24(水)〜6/23(金)

日本から約9000キロ、南半球の島国ニュージーランド最大の都市オークランドから約1時間のところにあるティリティリ・マタンギ島(Tiritiri Matangi island)。ニュージーランドの固有種19種を含む70種類以上の野鳥が生息しており、「鳥の楽園」と呼ばれている。

世界100カ国以上から年間3万5000人が訪れる観光地だが、かつては人の手によって島全体を覆っていた94%の樹木を失い、生息していた野鳥のほとんどが住むところを奪われてしまった過去を持つ。

この島が「復活」に至った背景には、「開かれた保護区」(Open Sanctuary)という考え方があった。

94%の樹木を失った島が、一歩を踏み出すまで

ストーリーは1800年代中頃から始まる。当時ニュージーランドには、ヨーロッパから続々と人々が移り住んでいた。ほどなくして移住者たちは、あらゆる土地の木々を伐採し、野焼きをして牧草地へと変えてしまう。ティリティリ・マタンギ島も同様に森が焼かれ、自然を失った。生態系はたった数十年で壊滅状態に追い込まれたのである。

30年前の姿は、今では全く想像がつかない

1970年代、環境省のような役割をしていたWildlife Serviceは、数が減りつつある野鳥を安全な環境へ移す手法を模索していた。その活動の中で、森が焼かれ、鳥もわずかに残る程度となったティリティリ・マタンギ島にも野鳥が放され始めた。

1974年、オークランド大学の動物学者ジョン・クレイグが自身の調査のために島を訪れる。Wildlife Serviceの活動を見かけ、興味を持ったクレイグは、生態系をきちんと元通りにできないかと考えた。

島の再生プロジェクトの初期メンバーで、当時の活動を語るバーバラ・ウォルターさん

島の自治体はプロジェクトの許可を下す際、チームに「研究者だけが入れるよう入島を制限する」か、「一般の人たちが自由に行き来できるようにする」かの選択を迫った。プロジェクト発足当初から参加していたバーバラさん曰く、当時は研究者だけが入れる「閉ざされた保護区」が一般的だったという。

だがクレイグ率いるチームは「開かれた保護区」としてプロジェクトを進める決断をした。

研究者たちがこだわった、「開かれた保護区」が意味すること

日本で自然保護区というと、一般の観光客は立入禁止であったり、危険を伴うほど山の奥深いところにあったりするイメージがあるかもしれない。しかし彼らが目指したのは、その名の通り開かれた──誰でも行き来できる保護区だった。

現在、島とオークランドはフェリーで結ばれ、観光客を迎え入れている。プロジェクトの財政は、政府からの補助金や観光客からの収入によって賄われているが、「開かれた保護区」は財源を観光に頼ることだけが目的ではない。島の維持・運営をボランティアによって成り立たせるためだ。

島を観光地として市民に広く開放することで保護活動への理解や興味を持ってもらい、参加型へとつなげていく仕組みである。

ニュージーランド固有の鳥「タカへ」。天敵がいない環境で進化したため、空を飛ぶことができない

プロジェクトが植林を始めたのは1984年。構想から10年が経っていた。

途中に島でネズミが大発生し、苗木が壊滅状態に追いやられるなど苦難がありながらも、1994年までの10年間で植えられた苗木は30種類28万本にも及んだ。

「開かれた保護区」によって集まった、島と野鳥を愛するボランティア

ボランティアスタッフのコーディーネーターを務めるマリーアン・ローランドさん

「ボランティアの手がなければ、この島が『鳥の楽園』になることはなかった」。マリーアンさんはそう振り返る。プロジェクト発足時には多くの人が「ボランティアだけで運営していくのは無理だ」と声を上げたが、協力したいという人たちは次第に集まっていった。

島の一部は草を食べる野鳥のため、今も牧草地が広がっている

現在ボランティアは基本的にスカウトで集めているという。ツアーに参加した観光客の中で、野鳥や植物に詳しい人、島の活動に強く共感・興味を持っている人に声をかけるそうだ。

ボランティアスタッフの最年長は93歳。最年少は13歳の男の子で、ガイドの見習いとして研修を受けており、もうすぐ独り立ちすることになっている。男の子は「島でボランティアスタッフとして働けたら、(野鳥を見ることができて)毎日がクリスマスのようだ」と、ガイドになれる日を首を長くして待っていた。

首の下にある白い綿毛がある「トゥイ」は、花の蜜を飲むミツスイの一種

「なぜ賃金を貰わずに、自分の時間を費やしてボランティアをやるのか」と不思議に思う人もいるかもしれない。だが彼らの様子を見れば、心からボランティア活動にやりがいを感じ、この島の環境、この島で生きる野鳥を保護しようと問題意識を高く持って活動しているのだとすぐにわかるだろう。事実、授業として島のプロジェクトに参加する学校も少なくない。

トレッキング中に望む透き通った海も美しい

1日170人の観光客を迎えるために

ティリティリ・マタンギ島に訪れる観光客は、1日で多くて170人ほど。12月から2月の繁忙期は、早めにフェリーの予約をしないとチケットが売り切れてしまうほどの人気ぶりである。

ボランティアのガイドの説明を聞く観光客たち

フェリーの運航企業などからは「もう少し観光客を増やして欲しい」といわれることもある。だがマリーアンさんの答えは、「島を維持することを考えると、これ以上増やすことはない」。観光客の増加により野鳥・自然保護がより難しくなるだけでなく、観光客が十分に島を楽しめなくなることも理由である。

トレッキング中にたくさんの野鳥に出会えるのには理由がある

「開かれた保護区」は、観光客を楽しませるための工夫をきちんと施している。野鳥を間近で見られるよう、好物である砂糖水を入れた水汲み場を順路の近くに設置するなどは顕著な例だ。「ゴミはすべて持ち帰る」「フェリーに乗る前に靴底の汚れを落とす」などの最低限の協力を求めながらも、観光客への配慮は欠かさない。

島の木々は1984年以降に植えられたため木の背がまだ低く、手が届くほど間近で野鳥を観察できるのも魅力だ。愛鳥家だけでなく、多くの人が野鳥を目で楽しめるのは大きな特徴だろう。

ただ、「開かれた」とはいえ、野鳥を守る保護区だ。害獣一匹も許さないために、島のあちこちにはネズミの足跡を察知する装置が置かれている。島で生まれた野鳥を管理するため、足には必ず環をはめる。島の原風景を取り戻すために努力は惜しまない。

「開かれた保護区」は、ひとつ、またひとつと増えていく

現在、この島には絶滅危惧種に指定されているニュージーランドの国鳥キウィをはじめとした70種類以上の野鳥の生息が確認されている。

プロジェクトが成功したことから、その後ニュージーランドでティリティリ・マタンギ島をモデルケースにした保護区がいくつも生まれた。それらの保護区と島は定期的に野鳥の入れ替えを行い、近親同士での交配を防ぎ、より強い種を未来に残す活動もしている。

キウィの捕獲を行う専門スタッフと犬。捕まえた数羽を別の保護区へ移すという

保護区と保護区をつなぐ輸送はニュージーランド航空が担う。ニュージーランドにおける空のネットワークを活かし、固有の鳥や爬虫類などを捕獲し、安全なところへ輸送する保護活動に尽力している。2012年からは同国の環境保全省と提携を始めた。

2017年4月30日には大規模なキウィの移動が行われ、10羽のキウィがニュージーランド航空の手によってティリティリ・マタンギ島へ運ばれている。

現地メディア「Stuff」によると、関係者は「来年には20羽放せるだろう」と語ったという

「開かれた保護区」は沖合の島だけではない。半島の先端を柵で区切り、飛べない鳥を放しているタウハラヌイ(Tawharanui)や、森にトラップを仕掛けて外来種を減らし、放鳥しているアークインザパーク(Ark in the park)など、オークランドの様々なところにある。もちろんオークランドだけでなく、保護区や似た活動はニュージーランド全土で見られる。

市民の手で、原風景を取り戻す──。小さな離島の「復活」が、ニュージーランドに大きな動きをもたらしている。

文=長田雅史 写真=長田雅史、外山稔、ニュージーランド航空提供