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「フツー」でなくていい──大人の発達障害と共に生きること

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Sponsored by 厚生労働省

配信期間:2018/3/1(木)〜3/31(土)

「変わり者」「空気が読めない」と偏見を持たれやすい発達障害。大人になってから、その診断を受ける人たちが増えている。一般的に意思疎通が苦手とされる半面、特定の分野で人並み外れた能力を発揮できる特性を秘めていることも。1人の当事者に密着し、その「強み」を探った。

料理や家計管理が得意なパパ、実は…

「きょうは、どんなお話が聞きたい?」

1歳の長女を抱きかかえ、優しく尋ねるのは青柳晋さん(42)。動物の鳴きまねを交えて絵本を読み聞かせる父親を、妻の亜沙美さん(37)は愛おしそうに見つめる。神奈川県内で暮らす3人家族の日常。

青柳さんはほぼ毎夕、一足先に帰宅して夕食と離乳食を用意する。パソコンの表計算ソフトで家計簿を自作し、青柳家の「財布」も管理している。亜沙美さんは「いつも私を気遣ってくれるので、とても助かっています」と感謝する。

長女に絵本を読む青柳さん。妻と家事を分担し、料理と家計の管理は青柳さんが担当する(撮影:アラカワヤスコ)

そんな「良き夫」でもあり「良き父」でもある青柳さんは、いまは「普通の人でない」と自覚している。35歳で発達障害の1つであるASD(自閉症スペクトラム障害)と診断された。2013年まで一般的な呼称だった「アスペルガー症候群」と紹介したほうが、聞き馴染みがあるかもしれない。

発達障害は生まれつき脳の働きにかたよりがあり、それがさまざまな特性となって表れる。行動や認知の特徴によって、多動・衝動性・不注意の症状を特徴とするADHD(注意欠如・多動性障害)、読み書きや計算など特定分野の学習に困難を示すLD(学習障害)、そして青柳さんが診断を受けたASDが代表的な発達障害であるが、その他にもトゥレット症候群や吃音症なども発達障害の範囲に含まれている。それぞれの障害は重複することもあり、複数の特性を合わせ持つ場合もある。「ASDは、話し方や表情など、言葉以外でコミュニケーションするのが苦手で、他者や社会に関心が薄い、特定のものやことに強いこだわりを持つといった特徴があります」。青柳さんの主治医である昭和大学発達障害医療研究所(東京都世田谷区)の加藤進昌所長が解説する。

青柳さんの言動について、加藤所長はASDの典型的な特徴が表れていると指摘する(撮影:アラカワヤスコ)

発達障害はこれまで、成長期の子どもに焦点が当たってきたが、「“大人の発達障害”が問題となっています」と加藤所長。発達障害は、大人になって突然発症するわけではないが、「言語や知的な能力に問題がないために、学校では問題が表面化せず、社会に出てから高度なコミュニケーションや臨機応変な対応ができず、仕事や人間関係がうまく立ち行かなくなり、精神科を受診して初めて気づくケースが増えています」

青柳さんが発達障害と診断されたのも、35歳だった。厚生労働省の調査によると、全国の発達障害者支援センターに寄せられた19歳以上の相談件数は、発達障害者支援法が施行された2005年度の約3500件から、直近の2016年度は約3万4000件に急増。この10年余りで10倍近くになった。

「変わっている」と言われ続けた学生時代

生い立ちを語る青柳さん。幼少から理数学的思考や音楽的能力に優れる一方、人見知りで複数の作業を同時にこなすことが苦手だった(撮影:アラカワヤスコ)

小学校低学年までは人間関係も比較的良好で、さほど大きな問題はなかったというが、中学では度重なる人間関係の衝突から「世界は自分の敵だ」と認識するように。精神的に追い詰められ、数カ月の登校拒否に至った。

そんな経験から、高校は山形県の山あいにある、少人数の全寮制に進んだ。受験勉強を重視せず、農牧やスキーで自然に親しむ自由な校風が肌に合った。このころが「人生の黄金期」だったという。

それから、青柳さんは1年間予備校に通い、国立大学理学部化学科に合格。新たな寮生活を始め、サークルにも入り、充実した学生生活が過ごせるはずだった。しかし、青柳さんは徐々に行き詰まりを感じるようになる。

根詰めた予備校時代の反動だった。いわゆる「燃え尽き症候群」になり、勉強を疎むようになっていた。さらに大学では、自ら答えを探さなくてはならない機会が増える。「能動的な勉強は向いていないと気づきました」。葛藤を抱えながら、研究室で夜まで実験を続ける日々が続いた。

この先の人生、どうやっても進路が見つからない──。もともと体が弱く、体力的にも限界を迎えつつあった。虚無感にとらわれ、大学の勧めで精神科を受診。1年半ほどの休学を決意した。

休学中に苦手な接客業のアルバイトにあえて挑戦してみたが、1年で挫折。精神的にさらに追い詰められたという(イメージ:アフロ)

何とか復学して大学を卒業し、そのまま大学院へ進学したものの、研究職をあきらめて中退。幼少から作曲に興味があり、音楽の専門学校に進路を変えた。卒業後も一転、派遣会社に登録してデータ入力の仕事を始めたが、どの派遣先も長くは続かなかった。

1年弱で3社を転々とした。そのうち、自身は「干渉を嫌う人間」であると気付く。職場に緊張感が張りつめていた4社目は、精神的にもっと堪えた。向精神薬を服用しても落ち着かない。とうとう、身体にも影響が表れ始め、左肩がまひして仕事もできなくなった。

それから10年間、青柳さんは社会との関わりに消極的になり、家に閉じこもる生活が続いた。

ASDと診断されて──自分を見つめる、デイケアの現場

転機は2010年。母親の勧めで加藤所長を訪ね、「アスペルガー症候群」と診断された。同じ研究所でデイケアを担当する精神保健福祉士の五十嵐美紀さんは、当時をこう語る。

「当初は周囲と打ち解けようとせず、ひとりでゲームばかりしていました。同じ発達障害の人々と関わる中で、そのうち変化が見られ、他者に関心を示さなかった彼が、みんなでマージャンをしたり、ゲームセンターに行ったりと交流が増え、いつの間にか人気者になっていました」

昭和大学発達障害医療研究所でのデイケアの様子。臨床心理士の横井英樹さんは通所者に表情のつくり方などを教える(撮影:アラカワヤスコ)

加藤所長はASDの特徴について、こう分析する。

「多くの人は自分がどう見られているかを意識し、他者を通して自分を理解できます。しかし、他者の目線に鈍感で、周囲からどう見られているかを気にせず、自己像がつかめないのです」

デイケアでは、こうした当事者同士が互いに語り合うことで、自己に対する理解を深め、社会性を身につけていく。感情の伝え方や、不安や怒りのコントロール、気遣いを学ぶ。こうした発達障害専門のプログラムは昭和大学ほか、全国23の機関で実施されている。

熱心にメモを取るデイケアの通所者。同じ境遇の人々と接することで、気持ちが楽になるという(撮影:アラカワヤスコ)

「フツーでなくていい」と気づいて…就職、そして結婚

昭和大学は2013年から、デイケアの卒業生をパート職員として雇用し、青柳さんはその1人。事務職として勤務してから、5年が過ぎた。

パソコン操作が得意で、1人で黙々と仕事をこなせる青柳さんは、職員の勤怠や診療統計を管理する帳簿を表計算ソフトで自作した。上司の恩田武広さん(57)は「得意な分野に並外れた集中力を発揮し、仕事も早い。業務は円滑化され、とても助かっています」と感謝する。一方、苦手な接客や電話応対は同僚が引き受け、周囲が青柳さんの得意、不得意を把握し、互いを助け合っている。「普段は発達障害であることをほとんど意識することはありません」と恩田さんは言う。

青柳さんが得意なパソコン操作は職場で重宝されている。苦手な接客や電話応対はせず、特性に応じて仕事を選り分けている(撮影:アラカワヤスコ)

ASDと診断後、青柳さんを取り巻く状況は職場のみならず、私生活でも大きく変わった。同僚で作業療法士の亜沙美さんと結婚したのは2015年。発達障害である自分をありのままに受け入れ、「好き」と言ってくれた初めての女性だった。

「変わっていると散々言われてきましたが、むしろ普通でなくていいと気付いたことで、気持ちがとても楽になりました。自分がASDであるという認識を持ってから、客観的に得意、不得意が理解できました」

特性を「強み」に──発達障害と共に生きる

結婚して3年、2017年に長女を授かり、これからは「自分の力で生きているという実感を持ちたい」と言う。

青柳さんの結婚は周囲を驚かせた。母親は「一生独身で過ごす」と思い込んでいたという(撮影:アラカワヤスコ)

一般的にASDの人々は、環境の変化への順応が苦手とされる。生活リズムが定まりづらく、臨機応変な対応が求められる育児は、青柳さんにとっても「不安のタネ」だった。育児休暇中の亜沙美さんが復職すれば、家事の負担も増え、ストレス解消のために不可欠な1人の時間はさらに減る。

それでも、かけがえのない家庭を築き、自らの立場は「恵まれている」と客観視できるようになった。「この状況に感謝し、少しずつ成長していきたいと思います」

亜沙美さんは結婚当初、「発達障害当事者の妻」として、何をすべきか身構えていたという。その心配は生活を共にして、杞憂だったと気付いた。「夫はとても誠実で、嘘をつけないタイプ。それもASDの特性なのかしら」とほほ笑んだ。

育児という新たな夫婦のステージも、「楽しみながら乗り越えていきたい」と口をそろえる(撮影:アラカワヤスコ)

発達障害者支援法が施行されて10年余り。その存在に対する認知は広がったが、「変わり者」「空気が読めない」との偏見はいまだに根強い。一方で、青柳さんやデイケア通所者のような当事者は、それぞれの障害を自覚し、ときに自身を追い込みながら、社会に受け入れられるための努力を続けている。

では、周囲の人々はどう向き合っていけばいいのか。

加藤所長は、青柳さんの家族や同僚のような周囲の理解が「ヒントになる」と言う。「不得意なことを強制するのではなく、得意なことを伸ばし、才能を評価する配慮が必要です」

理数学的思考に優れ、パソコン操作で家事や仕事に貢献する青柳さんのように、発達障害者は特定の分野で人並み外れた「強み」を発揮できる特性を秘めている。

加藤所長は続ける。「社会全体のサポートと理解が進めば、発達障害の人たちが生きやすいと思える環境が生まれる。彼らもその特性を生かして社会に貢献できる。良い循環につながるはずです」

取材・文=大場真代 編集・制作=QLife 撮影=アラカワヤスコ イメージ=アフロ