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なぜ人は坂本龍馬に惹かれるのか──新発見の手紙から読み解く真実の龍馬

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Sponsored by 高知県

配信期間:2017/3/28(火)〜4/27(木)

いま、世界情勢は大きな変化を迎えている。日本のまわりも決して穏やかではない話題でいっぱいだ。ニュースを見聞きして、なんだか落ち着かない人も少なくないだろう。

こんなときこそ、この国の歴史の転換点に立ち返ってみてはどうだろうか。日本はこれまで何度も激動の時代を乗り越えてきた。たとえば幕末、浦賀沖に現れた黒船によって太平の眠りを覚まされた江戸幕府の日本は、数々の苦難を乗り越えて「新国家」を樹立した。先人たちも恐ろしい時代の荒波に揉まれて道を切り開いたのだ。

幕末期に道を切り開いた偉人といえば、何といっても坂本龍馬。その人気は高知県内のみならず全国でも絶大だ。県立坂本龍馬記念館(高知市)には、大河ドラマ放映時の2010年には年間48万人が全国から殺到。2015年度も年間約15万人の入館者が訪れるなど根強い人気を誇る。

だが、多くの人の関心を得ているゆえに、世の中には龍馬に関する俗説が山のようにある。中には単なるスパイに過ぎなかったとか、フリーメーソンだったという説まである。そこまで突飛でなくとも、「小さい頃泣き虫だった」「勉強ができなかった」「非常識な奴だった」などの憶測も多い。

いずれにせよ死後150年経った今もなお、強烈に興味を引かせる人物であることは間違いないだろう。こんなにもなぜ、私たちは坂本龍馬に惹かれてしまうのだろうか。その鍵は、龍馬が書き綴った「手紙」に隠されていた。

140通の手紙は、残っているのではなく“残された”もの

龍馬研究の第一人者として知られる京都国立博物館学芸部上席研究員の宮川禎一さんによると、龍馬を知る上で手紙の研究は欠かせないという。龍馬が書いた手紙で残っているものは、実に140通あまり。宮川さんから言わせれば、それらは残っているのではなく「残された」ものだ。

「140通ほどの手紙が発見されているので、龍馬を『筆まめ』という人もいますが、当時はほかの人もそれぐらいは書いています。龍馬の手紙を読んだ人が『これは重要』と感じとり、現代まで“残されてきた”が正しいのです。もし龍馬が歴史の脇役だったならばそれらの手紙はとうに失われていたでしょうね。手紙によって坂本龍馬が『魅力的な人間』であり、歴史の舞台の中で実際に活躍したということがわかるのです」

日本初の新婚旅行といわれるお龍との霧島の旅をつづった手紙(複製)

代表的なのは、姉の乙女に、妻のお龍との新婚旅行をイラスト入りで楽しく報告した手紙や、通称「日本の洗濯」の手紙。「日本を今一度せんたくいたし申候」という一節はどこかで見聞きした人も多いのではないだろうか。

先述した根も葉もない憶測に関しても、宮川さんは「龍馬について極論を書く人は、龍馬の手紙を読んでいない人」と一笑に付す。

「龍馬の手紙を読むと、この人を小説やマンガやドラマにしたい!と思うほど魅力的な文章を書く人なのです。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』、小山ゆうのマンガ『おーい、竜馬!』、テレビドラマ『龍馬伝』などの脚本家や原作者は、必ず龍馬の手紙を読んで人物像を作っています。何もないところから創作しているわけではありません。

彼の手紙は内容がとても生き生きとしています。お龍(妻)はこんなに面白い女だとか延々と書いてありますし、姉の乙女の愚痴にも延々と付き合ったりしている。龍馬は描写力が高いので、お龍のキャラなどもドラマや映画で生き生きと蘇るのです。 西郷隆盛や桂小五郎など他の誰よりも断然面白いその手紙は、龍馬ファンを増やす最大要因にもなっています」

凛々しいイメージとは裏腹に、手紙には冗談やユニークな表現が溢れている

たとえば龍馬は、姪の春猪あてに容姿を馬鹿にしたひどい悪口やからかいの手紙を書いている。「おまえは顔はブサイクで性格も男が逃げ出すほどで…」。もちろん親しいがゆえの冗談だ。

「その手紙はストレス解消のために書かれたのでしょう。当時、薩長同盟に奔走しており、その日はいっこうに進展しない薩長同盟に怒りつつも桂をなだめ西郷を説得したことがわかっています。姪宛のからかいの手紙からは、龍馬の人間らしさと歴史的偉業に取り組んでいた様子の両方がわかるのです。映画や小説が面白いのは、そもそも龍馬の手紙が面白いからなのです」(宮川さん)

実は先日、2017年に入りすぐ、龍馬が書いた手紙が新しく発見されて大きな話題となった。

2017年1月に新しく発見された手紙。綴られていた想いとは

新しく見つかった手紙は、京都で落命する5日前、越前福井藩の重臣中根雪江(なかね・ゆきえ)にあてて書いたものである。かねてから推薦していた福井藩士三岡八郎(後の由利公正)を、早く新政府の財政担当者に就かせてくださいという、催促の手紙だった。

全国初公開となる、龍馬が暗殺される5日前に書いた手紙。手紙が入っていた封紙と共に展示されている

“一筆啓上差し上げます。

このたび越前の老侯(春嶽侯)が御上京に成られたことは千万の兵を得たような心持でございます。

先生(中根雪江)にも諸事御尽力くださったこととお察し申し上げます。

しかしながら先頃直接申し上げておきました三岡八郎兄の御上京、御出仕の一件は急を要する事と思っておりますので何卒早々に(越前藩の)御裁可が下りますよう願い奉ります。

三岡兄の御上京が一日先になったならば新国家の御家計(財政)の御成立が一日先になってしまうと考えられます。

唯、ここの所にひたすら御尽力をお願いいたします。”

この手紙がどんな意味を持つのか。宮川さんによると、龍馬の国づくりへの情熱と人間像がわかるのだという。

「今回の手紙を読んで感じたことは、龍馬が日本国のためにかなり頑張っていたことです。そこまでやらなくてもというぐらい頑張りすぎです。

文面から読み取れるように、上役にしつこく重ねて頼んでいますよね。藩の事情はお有りでしょうが、三岡がいないと新国家の財政が成り立たないでしょと。推薦しっ放し、言いっ放しでないところも龍馬の実行力がうかがえます。

龍馬は新国家のため、政治的な根回しをしていました。暗殺されるほど重大な活動をしていたのです。ほかの手紙の中で『いつ死んでもいい』ぐらいのことを書いてますから、本人は殺されたのは意外でもなんでもなかったでしょうね。まさか5日後にとは思わなかったでしょうが」

龍馬がどんな人物だったのか、手紙が発見されるごとに研究は進む(写真:アフロ)

「今回の手紙からもうひとつわかるのは、龍馬の真面目な一面です。家族とか親しい人には冗談を織り混ぜて面白い手紙を書きますが、福井藩の重臣という礼を尽くすべき相手にはきちんとした手紙を書いています。龍馬はこういう手紙も書く人なのだと、人間像を知る上でとても重要なんですね。つまり、『情』というウェットな部分を持ちながらも、『義』とか『理』とか国家のため、国づくりのために専心していたことがよくわかるんです」

三岡はその後、明治維新に際して財政担当となった。その後「五箇条の誓文」の起草に参画、東京府知事となるなど、多大な功績を残している。

新発見された手紙を、実際に見に行ってみる

折りしも2017年は江戸幕府が政権を朝廷に返上した「大政奉還」から150年という節目の年だ。幕末から明治にかけて多くの偉人を輩出した高知県では、観光博覧会「志国高知 幕末維新博」の2年にわたる開催が始まった。その幕末維新博の最大の目玉が今回の「新発見された手紙」なのである。

伝統と近代的イメージが融合したデザインの高知城博物館

展示されているのは3月4日に開館したばかりの高知城歴史博物館。旧土佐藩主・山内家に伝わった約6万7千点もの収蔵資料を中心に土佐藩・高知県ゆかりの古文書や美術工芸品などを収蔵している。

写真中央の行には「新国家」の文字がはっきりと読み取れる

特集展「海援隊発進!」の部屋に展示されており、5月8日までは龍馬が書いた正真正銘の実物を飾っている(5月8日以降はレプリカ展示)。福井藩の重臣に読まれることを想定し、龍馬にしては丁寧に書かれたものだという。なるほど、龍馬の真面目な一面がうかがえる。思わずドキッとさせられるのは、龍馬の手紙で初めて確認された「新国家」という言葉。龍馬が筆を走らせた様子を思い浮かべると150年前へとタイムスリップしてしまいそうだ。

坂本家の離れをイメージした空間。龍馬・乙女姉さんとの写真撮影も楽しめる

手紙のほか、高知を訪れたときには「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」で少年時代の龍馬やその家族のことを学び、「坂本龍馬記念館」の暗殺現場・近江屋の部屋の復元展示で龍馬の最期に思いを馳せるなど、龍馬が生まれ育った土地だからこその体験ができた。ちなみに、坂本龍馬記念館はリニューアルのため2017年3月末で一時閉館、2018年春に再オープンする予定だ。

太平洋を望む高知の桂浜。世界に目を向けていた龍馬にふさわしいということでこの場所に龍馬像が建てられた

幕末維新という歴史の大転換点では、龍馬以外にも多くの有為の人物が道半ばにして倒れている。しかし龍馬は手紙によって、150年前の荒波を突き進む背中を私たちに見せてくれている。それは、本来日本人が持つ力強さや日本の心そのものではないだろうか。