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時の流れを受け入れ、後世に遺産をつなぐ――明治の「古写真」「天井画」を守る現場を訪ねて

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配信期間:2018/8/31(金)〜9/30(日)

(撮影:安井信介)

2018年は、明治元年から150年を数える節目の年。全国各地で、明治150年に関連したイベントが開かれています。今に残る文化財や資料を公開する展示、また明治期の歴史・文化を振り返るシンポジウムなど、その取り組みはさまざまです。

幕末から明治にかけて、海外からさまざまな文化や技術、学問が伝わり、時代は大きく変化しました。当時の日本が異なる価値観や思想を受け入れていく様子は、いまも数々の文化財を通して、見てとることができます。

一方で、150年が経ち、文化財は劣化や色あせなど経年変化の問題にさらされています。いかに経年変化を受け止め、後世へ伝えていくか――。明治期、世界的に人気を集めた「日本写真」や、日本唯一のネオ・バロック様式宮殿建築「迎賓館赤坂離宮」の天井画から、明治期の遺産を残し、次世代につなぐ取り組みを追いました。

明治の古写真に写る、日本のルーツを残す

高温多湿な気候の日本で、紙や木などの有機物に由来する文化財を保存するのは、簡単ではありません。その時代・気候に応じてふさわしい修復をすることで、多くの文化財が今日まで受け継がれてきました。いまも文化財が残っているのは、先人たちの努力の結晶といえます。

東京文化財研究所副所長の山梨絵美子さんによると、日本の文化財分析では、そのものに極力触らず、壊さないという原則があり、「あえて後世の技術に委ねる」こともあるそうです。「なるべく環境を整え、現状を維持し続ければ、いつか技術が進化したとき、新たな方法で詳細なデータが採取できるかもしれないのです」。修復が必要な場合も最低限にとどめ、そのうえでどんな処置を行ったか、書面などに記録します。「そうすれば、後世においてその文化財が記録とともに検証され、よりふさわしい修復がなされるかもしれません」

明治期に撮影され、「日本みやげ」として海外へ渡った写真アルバム。左は祇園四条通り、右は清水寺(撮影:嶋田陽介)

長崎大学附属図書館の「幕末・明治期日本古写真コレクション」は、その修復を「後世の技術に委ねた」もののひとつ。幕末・明治期に日本で撮影された写真は、多くが海外へ持ち出され、その子孫や現地のコレクターたちによって保管されてきました。長崎大学では1988年から少しずつ古写真を収集し始め、現在では同館に約7000点を収蔵。その一部は国の登録有形文化財に指定されています。

長崎大学附属図書館に所蔵される古写真の中には、様々な災害で被災しながら、かろうじて残されたものもある(撮影:嶋田陽介)

幕末にオランダから来日した医学教師のもとで、学問としての写真を学んだのが、日本最初期の職業写真師となる上野彦馬でした。その後、彦馬に実践的な写真術を教えたのは、写真師のピエール・ロシエ。ロシエはイギリスの商社から派遣され、日本各地を撮影する中、長崎を訪れていました。

「最初は欧米諸国の極東進出に伴う調査報告的な意味合いが強かったのでしょう。けれども日本が『東洋の神秘の国』と認識されるようになると、欧米の写真師たちが、珍しい風景や風俗を撮影して収集する『イメージ・ハンター』として来日するようになった。ロシエはそのひとりと考えられます」と話すのは、長崎大学附属図書館学術情報管理班班長の下田研一さん。「世界の果てに面白い国がある、ということを一般に知らしめる『エンターテインメントとしての写真』を撮影するため、多くの写真師が来日するようになったのです」

「長崎では、学問として学ばれた写真術が実践と結びついたことで実用化された」と下田さん(撮影:嶋田陽介)

日本最初の開港都市である長崎、横浜、函館から日本各地へ波及していった写真技術。明治になると、横浜のある写真館が始めた着色写真が主流となり、日本みやげとして多大な人気を博すことに。これらを「横浜写真」と呼んでいます。

当時の工房での色付け作業の様子がわかる「横浜写真」(撮影:嶋田陽介)

工房では手作業で色付けを行い、アルバムには蒔絵(まきえ)の表紙が付けられました。その現場には、浮世絵や日本画の職人もいたといいます。「精巧なものもあれば、雑に塗られたものもある。彼らは撮影に立ち会っていたわけではありませんから、各地の風景を想像して色付けていた。芸術品というより、あくまで大量生産された工芸品だったのです」。同じ原板をもとにした写真で、異なる彩色を施されたものもあり、鮮やかな色には、工房ごとに異なる趣向が投影されています。

京都の鴨川付近で撮影された写真。舞妓さんが川床で夕涼みをしている。色付けした職人が違うためか、異なる趣きの彩色が施されている(写真:長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース)

古写真修復の方法は、特別には確立されていないといいます。ネガ原版からの印画が化学反応を用いているため、印画面自体には薬剤などによる修復は行わず、あくまでそれ以上劣化が進まないよう、印画紙や台紙の焼損、虫損、酸化などの修復に、日本画や文書の修復技術を転用している程度です。積極的な修復は行わないものの、写真は温湿度や露光を厳密に管理して保存され、デジタル・アーカイブ化し、ウェブサイトで広く公開しています。

「図書館では写真の『情報』面を重視します。絵画には画家が意識したものが描かれますが、写真は、人の意識が働かない光の反応によるものであり、対象を網羅的に記録します。日本の原風景が失われていくなか、我々のルーツを隅々まで正確に描いた古写真は、今後ますます重要なものとなるのではないでしょうか」

「賓客を迎える」ために修復する、明治の天井画

一方、美観を尊重した修復を行っている文化財もあります。東京・元赤坂にある迎賓館赤坂離宮は、1909年に東宮御所として建設された、日本で唯一のネオ・バロック様式宮殿建築です。戦後、国立国会図書館など庁舎として使われたのち、1974年に迎賓館へと生まれ変わりました。2006〜08年にインフラ整備や内装及び設備の改修、2017年1月からは「朝日の間」の天井画修復工事が行われています。

修復が施される前の天井画。遠目にはあまりわからないが、前回の修復から40数年を経て、少なからず劣化が進んでいた(迎賓館提供)

迎賓館には、「彩鸞の間」「花鳥の間」「羽衣の間」「朝日の間」があり、それぞれで明治期に描かれた美しい天井画を観ることができます。今回修復現場を撮影できた「朝日の間」は、天井に描かれた暁の女神オーロラが、朝日を背に受ける様子に由来します。天井からおよそ2メートル弱まで近づける位置に組まれた作業場では、朝から修復作業が進められていました。全工程でも佳境となる「補彩」を行っていたのは、修復研究所21代表取締役の渡邉郁夫さん。30年以上油彩画などの修復に携わり、この現場を取り仕切っています。

常に上を向いての作業。ぶどう農家が使うグレイパーという器具で首の後ろを支えている(撮影:安井信介)

天井画はもともとフランスの工房でキャンバス地に描かれ、建設時に天井へ設置されたものだそう。「作業を始める前に、ほんの少し剥れ落ちた部分から、キャンバスや地塗り、メディウム(媒材)や顔料など構造体を調べるのです。非常に伝統的な油彩画の技法で描かれていて、修復しながら『そうか、フランスでは100年前にこんな描き方をしていたのか』と当時の様子が垣間見えるので、とても面白いですね」

「天井画は重力に逆らって特殊な環境に設置されている。通常の絵画以上に、各工程で手間をかける必要がある」と渡邉さん(撮影:安井信介)

「作業をしていて気付いたのですが、この絵はとても丈夫なんです。木ずり(キャンパス地の下地)に接している部分はしっかりしているし、色もほとんど退色していない。当時の絵描きさんが油彩画の手法を忠実に守り、油と顔料をよく練って描いていたんでしょうね」

100年以上前に描かれたとは思えないほど鮮やかな色彩をとどめていますが、修復前はところどころ絵の具がひび割れ、剥げ落ちており、白いキャンバス地が見えていたといいます。「落としきれない汚れや剥落もありますし、前回の修復で不十分だったところもある。この絵全体として綺麗に見えるように、補彩を行っているのです」。渡邉さんはパレットに置かれた基本色のアクリル絵の具を混ぜ合わせ、目視で色を合わせ、元の天井画との境目がわからなくなるよう絶妙に色を入れています。

色を補ったところと周囲とがうまくなじんで、天井画は少しずつもとの色合いを取り戻していく(撮影:安井信介)

アクリル絵の具は、溶剤を使えば簡単に落とすことができます。迎賓館の天井画は、その下を人びとが行き交い、過ごしやすい温度や湿度に保たれる以上、劣化はまぬがれません。そのため、後世の人が再び修復することを前提にしています。今回の修復作業によってどんな情報が判明し、どんな修復が行われたのかは、修復報告書に記録され、後世に引き継がれます。

観ることそのものが文化財を次世代へ伝える営み

文化財を第一に考えれば、「誰にも見せない」ことがもっとも良い答えなのでしょう。適した温度管理、光も入らない閉ざされた場所での保存が劣化を防ぐからです。しかしそうすれば、文化財の価値を世の中の人びとが知る手段さえ閉ざされてしまいます。

東京文化財研究所の山梨さんはこう話します。「いま目にすることのできる文化財は、当然、それが生まれたばかりの状態とは違います。けれども、それが人の営みのなかで何百年と受け継がれ、保たれてきたこと自体にも価値がある。そう考えると、劣化というのはあながち否定すべきだけのものではないかもしれません」。文化財といま、この時代、この場を共有していることは、それ自体が「文化財を次世代に伝える」営みに関わっているともいえます。「文化財を観て、受け継がれてきた時間を感じていただくだけでも、文化財が保存され活用されていく一助になると考えています」

幕末から明治へと変わるときの激動は、どれほど大きなものだったのでしょう。そのなかで新しい技術や文化を取り込み、時代を切り拓いていった人びとのひたむきさは、いまも私たちの胸を打ちます。150年という遠いようで近い時間のなかで、現代へと受け継がれてきた明治期の遺産に触れ、思いをはせてみてはいかがでしょうか。

取材・文=大矢幸世 編集=檜垣優香(プレスラボ)